Goro noguchi biography of abraham
Goro noguchi biography of abraham
Biography - The Noguchi Museum!
野口五郎の現在と若い頃は?プロフィールと学歴や経歴についても!
岐阜県美濃市常盤町に生まれる。
曽祖父は人形浄瑠璃の太夫、両親はアマチュア楽団「青空楽団」の歌手同士。
本来、家族会議で「直樹」と命名するつもりだったが、
父親が家族に許可を得ずに「靖」という名前で出生届を出したという。
1966年10月、『日清ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い優勝。
中部日本放送の『どんぐり音楽会』に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの「青空のある限り」を歌い
1位となる。
『ちびっこのどじまん』をきっかけに本格的に歌手を目指すことを決意。
自ら“ソウルソング”と語る美空ひばりの『リンゴ追分』の作曲者・米山正夫の門下生になりたく、
約2年間、米山が係わるオーディションに何度も出場。
ついに声が掛かって中学2年生の時、プロを目指し実母とともに上京、
東京・浅草に近い伯父の経営する印刷工場の一室に下宿し、
美濃市立美濃中学校から台東区立台東中学校に転校。
ポリドールの児玉英毅が設立したアルカートプロダクション
(のちのNPミュージック・プロモーション)の第一号タレントとして所属し、
堀越高等学校に進学する。
1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビュー。
キャッチフレーズは「青い木の芽の、はだざわり」で売り出したが、
同曲のセールスは全く振るわなかった。
しかし2曲目の「青いリンゴ」からアイドル歌手に転向してスマッシュ・ヒット、
若い女性ファンの人気を獲得。
1972年12月31日、『第23回NHK紅白歌合戦』において当時としては最年少
(16歳10か月)となる初出場歌手に抜擢されて、「めぐり逢う青春」を歌う。
1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。
続く「君が美しすぎて」は第3位にランクされ、『第24回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。
西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。
1974年11月25日、「甘い生活」で初のオリコン週間チャートの第1位を獲得。
最大のヒット曲となり、『第25回NHK紅白歌合戦』も同曲で出場。
この作品で筒美京平は第16回日本レコ